• また陸上を
     学生です。バイトしてます。これはイギリスの大学へ留学してたときの写真です。楽しかったですよ。空もとてもきれいで。 これは中国(ウイグル自治区)ですよ。北京パラリンピックで取材を兼ねて旅行しました。取材は仕事でしたね。北京パラリンピックは夢の場所だったんですが、アテネパラリンピックに落ちまして、僕は観戦という形で初めてパラリンピックに触れることになりました。やはり衝撃を受けましたね。また陸上をやっている次第です。
  • 向き合うこと
     体の一部を失うってすごい試練だと思うし、外見的にも内面的にも、変化が訪れる時だと思いますよ。 じゃあ、その変化に対してどう向き合うんですかって、言われたときに、その〜、足は無くなっちゃうわけですから、背を向けて生きることは絶対できないじゃないですか。生えてくるんですかっていったら、そんなこと絶対無いわけだし。 スポーツでも調子が悪い自分から目を背けちゃうと、怪我をする。それを続けると全然調子がでなくていいパフォーマンスがでない。 だから、自分の置かれている状況に、まずは向き合うということ。そしてそれを助けてくれるのが、便利な道具であったり、優れた技術を持った先生だったり、何より家族とか。 1人だけではやっぱり向き合い切れない。うそじゃなしに向き合ったあとに待っているものは、絶対に暗闇ではない。僕とかみんなを見てもそうだけど。 これをメッセージとして伝えたときに、はたして本当に向き合えるのだろうか。怖くなっちゃうのだろうか。どうなんだろう。 でも僕は真実を伝えてると思います。
  • きっかけは陸上
     中学生のときは義足を見せるのが本当に嫌で、周りからも隠せって言われると本当に恥ずかしくなっちゃうんですよ。それから陸上に出会って、ちょっと歪んだ形かもしれないけど、コンプレックスを跳ね除けたいっていう、そういう形でスポーツを始めました。まあ、それでもいいだろう、そういうものが大事だと思います。無心になるような、仕事でもいいし、それは無数にありますね。糸口は。
  • 挫折から
     でもやっぱり挫折するんですよね。そういうところからスタートしたスポーツだと。 陸上初めて一年で当時の日本記録を塗り替えてしまって、何も準備なしで日本記録保持者になってしまい、そうするとスポーツの捉え方ができていなくて。毎日しっかり練習してても、無理してしまい、ダメなんです。ホントに記録が出ないんですよ。 そして海外遠征でとんでもない肉離れをしてしまい、アテネパラリンピックに間に合わなかったんですよ。 俺は落ちたなって・・・。そして・・・・空が晴れたんですよ。 あ〜って。そうじゃなかったって。陸上を始めた原点に戻んなきゃって。で、楽しいってときに戻っていくんですよ。そうすると、冬のシーズンは腹筋だけしかやってなかったのに、走る度にベストしか出ないんですよ。そして向き合うことができる。自然になる。義足の僕じゃなくて、単なる僕になる。とても自由になれた気がしました。
  • 自由にしてくれる。応えてくれる。
     座り心地がいいイスとかって、イスに対しての意識が無くなるじゃないですか。この足がそうなんです。足に意識しなくていいわけだから、自分を自由にしてくれる。そう、束縛されない、自由にやらしてくれる、制限されない。あと、ちょっとこう、日常以上の動きってあるじゃないですか。電車に間に合わなくて、走らないといけないとき、その時に応えてくれる。 スポーツ専用の義足と日常の義足の真ん中ぐらいの運動能力というか、日常のところでは終わっていない感じ。あと踵の踏み込みが柔らかいじゃないですか?ここが僕、好きなんです。